量子力学に代表される最先端の物理学は、 どんどん神の領域に近づこうとしています。 今まで、不思議な世界であったスピリチュアルな事象が、 あまりにも量子力学で説明される世界に近いのですから。 これは驚きです。 例えば、量子力学では、「一個の素粒子が時間をも超越して宇宙の隅々に 何処というわけでもなく広がっている」という事実が示されています。 これは、仏教でいう「三千世界(さんぜんせかい)」に通じます。 量子力学でいう、「10500個の宇宙が存在する」という論理と同じです。
|仏教の宇宙論
仏教において、1つの世界はこうあらわされています。 その世界には、中心にそびえる須弥山(しゅみせん)という山があって、 その山は聖なる山とされています。 インド神話では、メル山やスメール山とも呼ばれ、仏教だけではなく、 バラモン教やヒンドゥー教でも聖なる山です。 須弥山の周囲には4つの大陸(四大洲)があって、そのまわりに九山八海があるといいます。 これが我々の住む1つの世界で、上は三界の一つである色界(しきかい)から、 下は大地の下の風輪にまで及ぶ範囲を指します。 色界は、欲望を離れた清浄な物質の世界をいい、風輪は、この世の最下にある地の底をいいます。
|仏教と同じくする量子力学の宇宙観
この1つの世界が、1000個集まって小千世界となり、小千世界が1000個集まった空間を中千世界と呼びます。 そして中千世界がさらに1000個集ったものが大千世界といわれています。 数学的には、109(10の9乗個)ですね。 10億個の宇宙があるという概念です。 私たちが住んでいる三千世界(仏国土)の名前が、ご存じの娑婆(しゃば、sahā, サハー)です。 そして、サハー世界の外側、西の方角にあるのが、阿弥陀如来がおわします西方極楽浄土なんですね。 また、薬師如来の東方浄瑠璃世界や阿閦如来の妙喜世界なども同じようにサハー世界の外に存在します。 仏教では、宇宙(時間と空間)のいたるところに無数の仏が存在するとしています。 宇宙は仏で満ちており、自己の内にも、宇宙空間のあらゆる場所に仏は連座していると仏教は説いています。 このように宇宙の本質そのものを仏とするのが仏教の基本的な考え方で、その頂点に位置するのが大日如来です。 この仏教の宇宙観は、冒頭に書いた量子力学の世界と非常に似通った考え方なのです。
|オーバーラップする仏教と量子力学的な意識の世界
量子力学では、「人の意識が現実を創造し、客観的な事物は存在しない」 と結論づけています。 これは、現実世界に住む私たちにとっては、とても衝撃的な内容です。 目の前の現実は、今ここにいる自分たちの意識が創り出したもので、 普遍的なものではなく、見る者によってはまったく違った世界かもしれないというのです。 仏教では、「自己の意識が創りあげた客体物(感覚を通して知ることができるもの、つまり物です)に関わり合っても何の意味もない」と教えています。 「愛」は、洋の東西を問わず宗教の中心に存在しています。 仏教では、その「愛」の本質は、他人への愛ではない、あくまでも自己を中心とした「自己愛」なのです。 仏教では外部の客体物にこだわることを徹底して嫌い、自己を見据えることのみを重視して、 外部客体への関わり合いとなる他人への「愛」を真っ向から否定しているのです。 釈迦の有名な「天上天下、唯我独尊」(この世は自分のみの存在)は、これと同じ意味でしょう。
|バーチャルリアリティーは仏教の「この世」の仕組み
VR技術というと、いま大きな注目を集めているバーチャル・リアリティーのことです。 「仮想現実」と訳され、現実とは異なる世界、つまり仮想の世界を創りあげようというものです。 仏教でいう『仮相の世界』と同じ表現を使っているんですね。 つまり仏教でいう「この世」の仕組み(三界は唯心の所現で「仮相の世界」)は、 現代のVR技術と同じ意味になってくるわけです。 仏教では「三界(現世)は唯心の所現」と表現し、この世の事象すべては『仮相の世界』だと教えています。 この世の一切の現象は自分の心が作り出した「仮相の世界」で、 自己の想念を変えることによって世の中(仮相の世界)の事象はいくらでも変えることができる、 と教えているのです。 これは量子力学でいう「人の意識が現実を創造し、客観的な事物は存在しない」 、という結論そのものではないでしょうか。
|同じくするイエス・キリストの言葉
同じようなことを、イエスも言っています。 「この世は私たちの潜在意識で思っていることが世界に反映したものであり、 人間の想念が造り出した世界である」と。 イエスは「潜在意識」という表現を用いていますが、 すでに古代インドの哲学思想である『八識論』は、 潜在意識に基づいた思念エネルギーの存在を明らかにしています。
|実は超人的な意識がある
仏教でいう『八識』は人間の意識構造を理論的に解説したもので、 心というものが表層意識から深層意識までの八層から成り立っていると教えています。 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識の8種の意識作用をいいます。 最初の意識(五識)とは人の五感に基づいた知覚(意識)です。 次の第六識の意識は「理性」を指し、この六つを合わせて「表層意識」といいます。 これは私たちの感覚作用につらなって生じている「意識する心」というものです。 第七識と第八識である「末那識」と「阿頼耶識」、あまり耳慣れない言葉ですよね。 第七識の「末那識」は、本能や宿業的な心といわれるもので、 表面には出てこない無意識の隠れた「本性」を指し、「マナ識」とも呼ばれています。 これが現代心理学でいう「潜在意識」と呼ばれるものです。 深層に存在する第八識が「阿頼耶識(アラヤ識)」と呼ばれるものです。 これは第七識の「マナ識」を超える能力なので、人が意識して使えるというシロモノではないようです。 神のごときパワーですから、通常の人には、まったく無縁の意識作用といえます。
|封印された超意識
この「アラヤ識」は通常の人間は眠ったままの状態なんです。 というより完全に封印された状態といっても過言ではありません。 脳医学の見地から人間の脳は90%以上が未使用のままで置かれているといいます。 その理由は不明ですが、人の脳機能はパワーが全開されないように大部分が堅く封印されているわけですね。 私たち人間は、完全なる人にはなりきれていない中途半端な存在なのでしょう。 この不可思議な世界のほんの一部しか知りえない、しかしそこに「この世」と人類の秘密があるのではないでしょうか。 次回は、「祈りのパワーと輪廻転生、内なる神と意識の創造」という 今の科学からは少し離れてみえる内容を取り上げます。 本質の部分を受け入れると、量子力学の思想とさほど大差ないことが思い知らされます。
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